無差別ブログ

無差別な世界をつくるために無差別に殴りかかる系ブログ@仙台

ターンライト

無花果です。

今日はラジオの収録をしようとしたのですが、「外国人」ってテーマをうまく乗りこなせなかったので、別のテーマでやっちまいましたよ。

ラジオだとめんどくさい話になりそうだからしなかった話をメモっておきます。

差別と区別の話とか、ナショナリティの話とか。

最近は公務員試験の勉強なぞしてるんですよ。いや、改めて憲法なんかの勉強すると面白いですよね。

で、いの一番に出てくるのが、人権のお話なわけです。そこで外国人は色々と人権に制限がかかってくる。選挙の参加とか。

えーでも日本に住んでるんだから色々と認めてあげてもいいんじゃないの~?それって差別じゃないの~~??EUとかだとEU全部投票オッケー(一部除く)らしいよ~~??

って話。しようとしてやめました。ややこしいからです。

で、外国人は人権に制限がかかります。じゃあ僕は日本人なんですが、何をもって僕は日本人なんでしょうか。いや、生まれた土地とか育ったのが日本ってところはそうなんですけど。もっと実感的な部分っていうか。

ラジオとかブログとかでカテゴライズは良くない、みたいな話ばっかしてるんですけど、逆に自己把握って部分ではカテゴライズは重要だと思ってます。

つまり僕は日本人でシスでストレートで男性でオタクで成人で酒飲みで……っていうのを続けて、自分の属するグループの傾向の組み合わせをもって、自分の傾向を知るってことです。

その中でも日本人ってカテゴリってなんかでけぇな~と思うわけですよ。おとなしめとか意見を言わないとか?比較対象が身近に日本人ばっかだしなんともなんとも。

ナショナリティの再確認というか、そういう機会が少ないことは不安を生むんじゃないかって思うのです。自分は誰なんだろう?ってことがわかれば、逆にそのせいにだってできる。「ハッキリものを言ってくれ」って怒られたけど、そもそもそういうナショナリティだし、仕方ないよ。みたいな。

なんで自分がその状況なのか、原因がわからなければ対策もとれない。

だからもう少しナショナリティについて、とまでは言わないけど、自分のカテゴリについては考えてみるのがいいんじゃないかなって思うわけです。

 

で、日本人カテゴリの説明については、ずっと昔から人型のロールモデルがあるんだから、それを眺めることも良いんじゃないかなって思うわけです。

これ以上はスレが荒れるからこのへんで!!