無差別ブログ

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【イベント】性的マイノリティと医療のビミョーな距離感

無花果です。

昨日「セクシュアリティ夜間学校」なるものに参加してまいりました。

主催さんの公式ブログはここ

細かいレビューはともかく、僕の主観的な感想を置いておきます。

今回のテーマは……っていう話の前に、そもそもなんで僕がこの会に参加しようとしたのかってお話です。

ひとつは自分のアイデンティティの確認。もうひとつは性的マイノリティについてのきちんとした知識を仕入れるため。

きちんとした、っていうのは、エビデンスに基づいた、とか、マクロに見た、とかそういう話です。客観的事実は大事ですよ。

ともかくそういうものを期待して参加しまして、割とその欲求は綺麗に満たされました。きちんと文献、法令などなどに基づいたかなりアカデミックな試みでした。

当事者の経験に基づいた意見は非常にリアリティがあって、人の心を動かすことにおいては非常に重要ですが、エビデンスはその拡張性において有効な手段と考えます。

きちんとした、って表現は変なのかな~。お堅い方向けの、って方が正しい日本語な気がします。感情抜きに伝わる。

 

で、今回のテーマは「性的マイノリティと医療のビミョーな距離感」

5月17日は「多様な性にYESの日」でした。これはWHOが制定する精神病の基準から同性愛の記述が消えた日、らしいです。つまり同性愛は病気ではない、と世界が認めた日。そこから、反同性愛嫌悪の日、ってことになったそうな。

International Day Against Homophobia , Transphobia and Biphobia を略して

IDAHOTB アイダホットビー!って言うそうな。そうな。

あ、また脱線しますけど、セクシャルマイノリティに関する言葉の取り扱いはとってもとっても難しいと思います。LGBTなんて言葉は割と浸透してきてますけど、LGBTからLGBTQになりLGBTQQPAになりSO-GIになり……。

もちろん言葉が変わるっていうのは意味があっておこる現象なのですけど、変化のスピード感があるので、それに対応しきれない人を敵対視するべきではないな、という印象。LGBTって単語を知らないと流石にちょっと時代遅れ感はあるけど。閑話休題

そんなわけでお話はどんな経緯で病気というカテゴリから同性愛が抜けていったのか。単純なアイデンティティとして認定を受けていったのかという話。そして性同一性障害が病気としてどのような扱いを受けているのか。

ホモフォビアに対する宗教的な根拠とか、WHOなどなどでの扱いの変遷とかが示されたのは興味深かったです。こういう足元固めはとっても大事。

そして個人的問題はトランスジェンダーに関わる部分で紹介されたお話。

お話の趣旨としては、ジェンダーは男女という規範にプラスしてXジェンダーがあって、いや、むしろ男女のグラデーションの中間地点をXと呼称してとってもとってもなめらかなラインのうえに僕らのジェンダーは置かれているのだという話。

それであればもはやトランスジェンダーって言葉も意味をなさなくなってしまう。飛び越える垣根がなくなってしまえばトランスできなくなるわけですから。

そういう意味で、今で言う性同一性障害は、あくまで社会がSEXとGIを同一にしなくてはならないという謎の壁を置いているだけであって、本来的にはそこにトランスすべき壁はないってことになるわけです。

それで僕の中のアイデンティティは揺らぐのです。この感じわかります?

僕はシス男性として自分をidentifyしていたわけなんですけど、自分の性がなめらかなグラデーションの上にあって、「ん~、まぁ男性的な行動が多いかも」くらいの、名前のないものになる、というのがこの考え方なわけですよ。

僕は不安です。僕って誰なんでしょう。

というわけで当日も「これどうしましょ?」みたいな話をその場でさせてもらいました。でもやっぱり、自分のSO-GIとか、いろんなものを受け入れたうえで、自分が納得いくところを探すしかないのかなぁ~~というところです。

しかしまぁ、なんというか、アイデンティティを探す度にブレがひどくなっていく気がする27歳……。